猫をほめる

数ヶ月前、石田ゆり子さんのインスタグラムを何気なく見ていたら自分の飼っている猫をめちゃくちゃほめてみる、という動画がアップされていた。

それは、石田ゆり子さんがまるで人間の子供にでも話しかけるように、猫に対して「◯◯ちゃん(猫の名前)可愛いね〜かしこいね〜」という感じでほめまくる動画だったのだが、わたしはそれを見て、ちょっとこっ恥ずかしいというか「自分は正直よーやらへんな……」と思った。

我が家には今年で17歳になる『みどり』という雌の猫がいるのだが、みどりは本当に猫らしい猫というか、マイペースで気まぐれで、あまり人にベタベタ甘えたりはしない。

唯一、母にだけは強烈になついていて、膝に乗ったりもするのだけれど、母以外の家族には滅多にそういったことを要求しない。

だが、一ヶ月ほど前から「物は試し」と思い、わたし以外の家族がいない隙を狙って、みどりに対して「なんでそんな可愛いん?」「白いし美人過ぎる……」「とんでもないおりこうさんやね」などと、それはそれはもう歯の浮くようなセリフを延々と投げかけながら撫でる、という行為を続けてみたところ、しだいにみどりの態度に変化が現れるようになった。

なんと、わたしに対して「ゴロゴロゴロ……」という、猫特有のあの声を出す頻度が確実に増えた上、たまにではあるが膝にも乗ろうとするようになってきたのだ。

わたしはこれまでの人生において、ときおりみどりと第六感とでもいうべきところで通じ合っているような感覚を覚えたことがいくどかあったけれども、そういったものは雰囲気だとか波長だとかフェロモンだとか、言語とはまた別の部分で、お互い疎通しあっているのだと思っていた。

だから、今回の件は自分の中では結構衝撃的で、なぜなら「猫に対してもちゃんと言葉にして言わないと伝わらないのかよ……!」と思ってしまったからである。

もちろん、みどりが日本語を言語として完璧に理解しているってことはないだろうし、歯の浮くようなセリフをわたしが口にする際の口調や手付きがふだんより優しいものだったため、単純にそれを「快適」だと思っただけという可能性もある。

だけれども、自分の中で「口に出さなくてもわたしのみどりへの気持ち(愛)は伝わっている」とどこか考えていた部分があったので、それをひっくり返されたような思いがしたのも事実だ。

「なにをそんな当たり前のことを?」とひょっとしたら思われる方もいるのかもしれないが、なんだか自分が昔ながらの亭主関白のような「言わなくても伝わる」というようなマインドでいたことを痛感させられてしまったのだ。

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