献血

久しぶりに献血に行った。今年の二月に行って以来だ。

これまでの人生において献血だけはお金をもらってもやるまい、と避けてきたはずなのに、今年からとつぜん隙あらば行きたいと思うようになった(といっても今回を含め、まだ二回しか行ったことはない)。

正確に言うと、数年前から「献血に行ってみたい」という気持ちが自分の中で湧き上がってきていたのだけれど、去年までは持病の薬を服用していたので断念していた。

現在はその薬を飲まずにすんでいるので、今年の頭にようやく初献血に挑戦したのだが、それが存外良かった。

献血に行って良かった、とはどういうことかと思われるかもしれないが、自分の場合は精神的なものが大きい。

それは「誰かの役に立っている」というある種の”徳を積む”ような気持ちもあるにはあるのだけれど、それよりも、大量に血を抜くことによって(400ml)その失われた血を補うために「体内で新たに血が作り出される」という変化に興味がある。

献血後、二・三週間ほどで血液の成分・量ともに完全に本来の状態に回復するらしいのだが、なんだかその行為を通して心身ともにリフレッシュするような感覚になるのだ。

わたしは専門家ではないし、日本赤十字社もそんな献血の効能はもちろん謳っていないのだが、たとえ錯覚だったとしても、そんな効果があるような気がしてならない。

自分でもこれが多分にプラシーボであることは自覚している。

しかし、現在の日本では禁止されているが、中華圏や韓国では「瀉血(しゃけつ)」という血を抜く療法が現在も残っているし、わたし自身も血をこんなに大量に作り変えるのだから何かしらの変化はあるに決まっているだろう、と考えている。

献血ルームの待合室は静かで落ち着いた雰囲気がいつも漂っている。わざわざ痛い思いをしてまで、無償で血を寄付しにくるような人を迎え入れるわけだから、スタッフのホスピタリティもとても高く気持ちが良い。

わたしはいつも「献血に来る人はどんな動機でやってきているのだろう」と思いながら周囲の様子を窺っているのだけれど、自分がいちばん打算的な気持ちでここにやってきているのではないかと毎回思ってしまう。